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更新サボりすぎていました。
人の言葉を右から左に動かして、
それで何かを知ったような顔をした人間にはなりたくなくて、
ちゃんと生きたい、そういう風に生きるためには何が必要か?とか考えていたら、子供を授かりました。無事に夏には生まれてきますように。
そういえば自分が決定的に、いわゆるマジョリティーの道を踏み外すきっかけを作ったであろう、
ビートニク文学に最初に感銘を受けたのは、それらが打ちひしがれた者達の言葉だったからのような気もするし、
言い換えれば社会的には弱者の言葉だったからかもしれない。
世の中に存在する「VOICE」は大きな声を持つものだけではなく、
生存競争の原理で言えば、淘汰されるかもしれない小さな「VOICE」の方も確実に存在していて、
当時はあまりにもひねくれすぎていたのかもしれないけど、
そこにこそ、自分の出したい声の方向もあるのかもしれないと思ったからかもしれない。
時代はちょとだけ進み、自分が社会の中に泳ぎだし始めた頃から人類は、
そういった言葉を残す作業であるミーム(生殖活動ではなく記録で残す遺伝という意味で使いたい)を
インターネットという物によって、ある種簡単に世界に残せるようになったらしい。
ふと最近は、よくよく考えると、大きな声と小さな声はいつの日か、
(500年後の未来には?)等質に世界に存在するかもしれないとさえ思わされてしまうほどだ。
(そしてその頃には、人類はすでに純粋な生殖活動では、遺伝情報を残せていない可能性を、SFチックに想像するワタシ)
そんなわけで、もしかすると、生殖的な遺伝と情報的な遺伝の立場が逆転していく傾向にあるなら、
弱まる側に回って、生殖的な遺伝の方を残したいと思ってしまった。。。。
なんていうのも真っ赤な嘘で、そんなことを考える間も無く気がついた時には、
妻のお腹の中には新しい生命がいたらしく、そのコトを彼女に話された時のワタシは、
素直に、自分の生きてきたことが次に繋がるかもしれない。。という神秘的な可能性に驚きながら、
あの南米の冒険の旅で出会った息を飲むような自然の景色に驚いた時よりも、
文化の進んだ欧米で新しい自由に触れて感動したあの日よりも、
脳内で遠くにトリップさせてくれた素晴らしいたくさんの音楽やアートに心を揺さぶられたあの日よりも、
遥かに興奮を感じていた。
そして、色々なことをやってきた中で、いつしか人間にありがちな、刺激に対する慣れという物に拠った、
怠惰という感覚を少しずつ感じる機会が増えていた自分には、子供を育てるということは、
新しいことの始まりのようで、自分もまるで子供の時のような気持ちでワクワクし始めていた。
いつか、ワタシの子供が大人になって、もし子供ができたということをワタシに伝えてくれるような
未来があったとしたら、ここに書いたことを、できるだけ端的にシンプルに伝えたいと思っている、、、
(その頃には我が子は、ちょっと変な親父にとっくに呆れてしまっていて、マトモには取り合ってはくれないかもしれないが。。)
と、そんなことを今は考えている。
久々の相変わらずの駄文を書き綴ってしまったけど、最後にもう一つだけ忘れないように書いておきたいコトを。
この間、久しぶりにひどく遊びきった豊田大橋の矢作川の河川敷の朝に、疲れ切った頭と体に朝日を浴びながら、
地面に寝転んでいた時に、実はこっそりアホみたいに泣けてきて、
今のような気持ちを持てるように生きてこれたことを、自分を産んでくれた両親に非常に心からひたすら感謝をしました。
その横では、今、生きていくのが本当に楽しいと、心底思わせてくれているボンクラな友人達が寝転んでいて、
朝日が昇りきって起きてきたキッズ達に、「なんでこの人達、朝なのに寝ているの〜」と
ツッコマレテいた、あのくだらない、雑多だらけだけど芳醇だった、この景色をワタシは死ぬ前に必ず思い出したいと思いました。
〆。
妊娠5ヶ月目
桜を見たいと言った妻を乗せて、
自分が個人的に一番好きな桜を観に、多摩川の土手へ。
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いわさきちひろ生誕100周年を記念した、展覧会の(https://100.chihiro.jp/exhibitions/life )
スポークンワーズプロジェクトの回の、イメージ写真と、今回の展示に併せたルック写真を撮らせていただきました。
いわさきちひろの絵と、自分が撮った写真が上下で並んでいるのは、嬉しいお仕事でした。
ADとデザインはvillage、長嶋りかこさん。
最近年を重ねて思うことの一つに、知っているようで知らないことっていうものが、
大変多いことに気が付いているので、この機会に絵本ではなく、いわさきちひろが書いた「ラブレター」という著書を読みました。
今の時代だからこそ、愛することや、女性(に限らず)の生と性の話、そこからも繋がる政治への考え方等々、大変おすすめです。
”大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います” by ちひろ
https://100.chihiro.jp/exhibitions/life/8